忘れられない試合の話⓶
ホームベース前のあいさつが終わり、「県立岐阜商業」のナインがそれぞれのポジションに散りました。
もちろん、ライトは「横山君」です。
「横山君」は左手にハンデを持ちながら、努力でレギュラーをつかみ取り、この大会で大活躍を見せている、言わば「甲子園のスター」でした。
場内アナウンスが「ライト よこやまくん」と紹介したとたん、一段と大きな歓声が球場中で起こりました。
今日の「県立岐阜商業」の先発は、エースの「柴田君」ではなく、背番号20を付けた「渡辺大雅君」でありました。
今日の相手は「横浜高校」です。
春の選抜の覇者で、今大会の優勝候補です。球の早いエースの「柴田君」じゃないとだめなんじゃないかと思ったのです。
「渡辺大雅君」も、前の試合(明豊戦)で投げていますが、球威はあきらかに「柴田君」より劣ります。
それに彼は地方大会(岐阜県の予選)ではベンチにさえ入っていなかったのです。
そのとき、例の隣の男性も「ピッチャーわたなべたいがくん~」のアナウンスがあったとき、ちょっとため息めいた口調で「わたなべかぁ」と言ったのを、わたしは聞き逃しませんでした。
彼は「県立岐阜商業」を応援しているのでしょうか。このときはまだわかりません。
彼のつぶやきに反応して話しかけるチャンスはたくさんあったのに、シャイな私は踏み出せずにいました。
さて、いよいよ「渡辺大雅君」は、横浜高校相手にして、何万人、いやテレビの前の人も含めれば何百万人の前で投げるのです。
彼はどんな気持ちだろうか。
「岐阜県の高校がここまで勝ち進んだんだ。もう十分頑張った」
「打たれてもいい。負けたってしょうがない。精一杯やってくれ」
私はそんな目で彼を見ていました。
1回の表がはじまります。
「横浜高校」の攻撃で、「渡辺大雅君」は早くはないけど、よくコントロールされたボールをテンポよく投げ込みました。
先頭バッターをうまくアウトを取りました。
自然とハラハラしている私がいます。
しかし次の2番バッターにデットボールを与え、1アウトランナー1塁になり、打席には「横浜高校」の3番、強打者の「阿部君」を迎えました。
しかし「渡辺大雅君」は、あっさりと「阿部君」をセカンドゴロに打ち取りました。
しかし、次の4番の「奥村君」が「渡辺大雅君」のインコース高めの球をフルスイング。
カキーーン
鋭い打球音と共に、打球はライトオーバーの弾丸ライナー。
「あぁ、横浜がもう1点とってしまうのか」
甲子園にいたほとんどの人がそう思ったでしょう。
次の瞬間でした。
ライトの「横山君」の大ファインプレーが生まれたのです。
「横山君」は背走して、グラブを思いっきり伸ばし、「奥村君」の放った弾丸ライナーを、ギリギリのところでもぎ取ったのです。
このプレーはブルーに染まった1塁側アルプスの「県立岐阜商業」の大応援団のすぐ前でありました。
そしてライトスタンドにいた私の目の前でもありました。
スタンドはもう大熱狂。地鳴りのような歓声が「横山君」を包みます。
「横山君」は脱げた帽子をサッと拾って、表情も変えず駆け足でベンチに下がって行きました。
「すごかったね~」
今のプレーに興奮した私は、ついに隣の男性に話しかけてしまいました。
「すごかった。あれが抜けていたら流れは完全に横浜やった」
男性もすぐこたえてくれました。
「先発はエースや無かったね」
私は先発が「柴田君」ではなかったことを話題にしてみました。
「500球の球数制限があるからね」
彼は異常に野球に詳しく、体格も良いことから、これは絶対野球経験者だと思いました。
「野球やってたでしょう。それも本格的に」
彼は、はにかみながら自分の出身校を教えてくれました。
それは兵庫県の高校で、甲子園に何度も出ている、誰もが知る強豪校でした。彼はその高校の野球部出身だと教えてくれました。
「じゃあ、甲子園には出たの?」
「いや、自分たちの代は出ていない」
よく過去を美化して人に話す人がいますが、彼は違っていました。
それから彼は、目の前で繰り広げられた世紀の一戦を、専門的な知識を交えながら、私に事細かに「解説」をしてくれたのです。
1球ごとに彼の解説は続きました。
それが今日の私の試合観戦を、本当に「忘れられない試合」にしていくのでした。
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