投稿

11月 23, 2025の投稿を表示しています

相手の気持ちを察する話

イメージ
島根県にある 足立美術館 の庭園は、とあるアメリカの雑誌で 日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、 初回の2003年 から「 連続日本一 」に選出されています 。 日本国内約1000箇所の名所・旧跡を対象にしたもので、「庭そのものの質の高さ」「建物との調和」「利用者への対応」などが総合的に判断されたもので、とくに細部まで行き届いた維持管理が評価されているそうです。 私が初めて 足立美術館 の庭園を見たときは、あまりの美しさに「ひゃー」と、変な声がでたほどです。 このお庭が一番よく見えるところに 足立美術館 の喫茶店があります。そこでコーヒーでも飲みながらゆっくりお庭を見ようかと思いましたら、そこのメニューを見てびっくりするお値段だったので、そこでも同じように「ひゃー」と、変な声が出ました。 だからその喫茶店には入っていません。 今思えば、ちょっと無理してでも入っておけばよかったかなと思っています。 現代において、一般的な住宅で日本庭園を造られるお施主様は、私の知るところめったにいらっしゃいません。 日本庭園は手入れが大変ですし、それなりのスペースも必要になります。それに今の若い方で日本庭園がお好きな方はかなり少数派だと思います。 私はなぜか昔から日本庭園が好きで、きれいなお庭を見ると心まできれいになるような気がします。 しかし、現在そうしたお庭は京都のお寺とかに行かないと見ることは難しいです。 先日とあるお寺に紅葉を見に行ったときの話です。そこには見事なもみじが鮮やかに色づいていました。 早速この美しいもみじをカメラに収めようとしたところ、ちょうど撮りたいもみじの前で2人のご婦人がおしゃべりをしています。 このまま私がシャッターを押すと、この2人のご婦人が映ってしまいます。 私は2人が移動してくれるのを辛抱強く待ちました。 しかしおしゃべりは終わりません。 私はついに実力行使に出ました。ゆっくり2人に近づくと 「オネエサン、ちょっとだけ横にずれてもらえませんか?もみじの写真が撮りたいので」 するとご婦人方のひとりが、 「あららごめんなさい!私らここは見飽きてるから」 そういってちょっと嫌味っぽく横にずれて下さいました。 後で聞くと、お2人は観光バスのバスガイドさんでした。 最近 SNS をやる人がふえているせいか、わたしが何かを撮ろうとすると、さ...

心残りな話

イメージ
コロナ禍以降、インバウンドでどこの観光地も裕福そうな外国人で溢れています。 しかし私がまだ20歳になったばかりの頃は、まだそんなに外国人を見ることは少なく、特に白人系の人を見る機会は、ほとんどなかったと思います。  当時私は大阪の郊外のとある街で、1人暮らしをしていました。 お金もなく、友達とは疎遠となり、私はいつも休日をもてあましていました。偶然その日も近くの商店街をあてもなくぶらぶら歩いていたのです。 そこに私に笑顔で近づいてくる外国人の2人組がいました。どちらも白人系で歳は若く、身長は2m近い大男でした。 「ちょっとお話イイデスカ?」 2人はたどたどしくもしっかりした敬語の日本語で私に話しかけてきました。 私は外国人と話すなんてなかなかないことですし、暇だったこともあり、少しだけ話を聞くことにしました。 後で知ったのは、その外国人たちはN君とW君といって、アメリカから来た、とある宗教の勧誘の人でした。 2人は私の住んでいた狭いアパートまで付いてきました。 私はアメリカ人だからと思いコーラーを出すと 「ボクタチ 水シカノメナイ・・」 規律の厳しい宗教だったようです。 それから彼らと不思議な交流が始まりました。宗教の勧誘は適当にはぐらかしていましたが、彼らはわりと頻繁に私の部屋を訪ねてきたのです。 ある日、私に一番親切だったN君が 「今度ボクタチノアパートオイデヨ!夕食ゴチソウスルヨ」 そういわれて、興味本位でのこのこ行った日のことは、いまでも鮮明に覚えています。 彼らはそこで共同生活をしていました。 そこには私に声をかけたN君とW君のほかに、初めて逢う知らない2人がいたのです。彼らも同じアメリカの白人でした。 夕食はスパゲッティのミートソースでした。ソースに至るまですべて彼らの手作りでした。         テーブルの上に5つのお皿が並べられました。 スプーンとフォークも並べられました。しかし、私の席のスパゲッティにはスプーンもフォークもなく、 「箸」 が置かれました。 私が日本人だからと思って、わざわざ 「箸」 を用意してくれたのでしょう。もちろん私に異論はありませんでした。 そして食事が始まりました。私は 「箸」 でスパゲッティをつかもうとしますが、ミートソースのせいでツルツル滑ってうまく口に運べません。 私は 「まあいいや、ここは日本風にいこう」 ...

ある日の建築現場の話

イメージ
 伊田屋エステイトの母体である 株式会社伊田屋(ITAYA HOME) は、長年住宅の設計、建築を手掛けてまいりました。 そこで、伊田屋の家は現場でどのようにして作られているか、ちょっと一部ご紹介したいと思います。 鉄筋コンクリートの 「ベタ基礎」 の上に 「土台」 が設置されています。 今日は 「上棟」 の日です。 棟梁(とうりょう) と呼ばれる大工さんを中心に、鳶の人、レッカーを動かす人、そのほか作業する人が10人前後、早朝より現場に集まります。 現場監督の合図で、一斉に仕事がスタートします。レッカーが次々と材料を吊り上げ、職人さんがそれを手際よくさばきます。柱や梁がみるみる組みあがっていきます。 仕事は各自連携して、ワンチームとして行われます。高いところの作業もありますが、安全第一に進めています。 お昼休みを取って、午後から2階や屋根が組みあがります。木材は 「プレカット」 といって工場から直送されてきます。木材同士の組み合わせも正確そのもので、強い軸組が出来上がっていきます。 こうしてまる1日、大勢の人のチームワークにより、家の骨組みが出来上がるのです。 お施主さんの中には、この時点で 「御幣」 という家の守り神をされる方もいて、その御幣を小屋裏の柱の高いところに括り付けます。 これはこの家に住む人の幸せを願っての古くからの風習です。 出来上がった骨組みは、ブルーシートできれいに覆い、雨や風の侵入を防ぎます。 そしてここから、大工さんの造作、床や壁、天井。サッシ窓や建具の取り付けなど、家をどんどん仕上げていくのです。 株式会社伊田屋 では、いつもどこかで、こうした作業が行われているのです。