愛車とお別れした話
ちょっと古い話になるのですが。2005年に、私は車を買いました。
その車は「スバルR1」という軽自動車で、現在はもう製造されていません。
この車は軽自動車なのに4気筒のエンジンを積んでいて、660CCで64馬力を発生しました。
4WDで雪道でもガンガン走れました。
一応4人乗りではありましたが、後部座席はほとんど人が乗れる広さはありません。
私はこの車を気に入り、いろんなところにこの車で出かけました。
岐阜から仙台まで一晩で走りました。
丸1日かけて鹿児島までいったこともあります。
消耗品の交換はありましたが、この車は一度も故障をしませんでした。
そして私はこの車を、大切に2022年まで乗り続けたのです。
いつのまにか走行距離は22万キロになっていました。
運転席のシートが少し破れていましたが、エンジンは快調で、私はまだまだこの車に乗り続けるつもりでいました。
ある日、私はいつものように「スバルR1]に乗ってでかけていました。
秋の朝、8時ごろだったと思います。
4車線の道路を走っていたとき、道は渋滞してのろのろ運転でした。
信号のない交差点にさしかかったときのことは、忘れることはできません。
突然右側の車線からこちらに向かって右折してくる黄色い車が目に入りました。
止まるかな止まるかなと思って見ていました。
しかしその車は全く止まることなく、ノーブレーキで私の「スバルR1」の右側ドアあたりに激しくぶつかったのです。
何が何だかわからないうちに、大きな音と共に私の「スバルR1」は路肩に押し出されるようにして止まりました。
ショックでした。
大切に大切に大切に乗ってきた私の「スバルR1」
思い出のいっぱい詰まった「スバルR1」
それが理不尽に壊されたのです。
私にケガはありませんでした。
しかし、事故のショックと共に強烈な怒りがマグマのように込み上げてきたのです。
路肩に止まった私は、加害者がすぐにやってきて、私に謝ってくるものだと思っていました。
その時に、全身から来る怒りを、その加害者にぶつけてやろうと思っていました。
しかし、いつまで待っても加害者はやってきませんでした。
5分経ちました。窓越しに見ると、加害者の車が10メートルほど離れた場所で、ハザードを点けて停まっているのが見えました。
「もう殺そう…」
私は車を降りました。右側はドアが開かなかったので、助手席側から降りました。
そしてものすごく怖い顔をして加害者の車にゆっくり進んで行ったのです。
加害者の車の中を見ると、運転席にスマートホンをいじっている高齢の男性が座っていました。
その男性は私を見ると、びっくりした顔をしてスマートフォンを仕舞いました。
私はその姿を見て、運転席の窓をたたき割ってやろうとさえ思ったのですが、どうしたわけかその怒りが一瞬で萎えてしまったのです。
それは高齢男性の顔が、前の年に亡くなった私の父にそっくりだったからです。
私の「スバルR1]の修理代の見積もりは、およそ「50万円」でした。
しかし22万キロ乗った私の車に保険会社が出した金額は、たったの「16万円」でした。
それも2割は私に事故の責任があるという査定でした。
私はそれなりに交渉しましたが、最終的に「30万円」までにはなったものの、修理することはあきらめ、私と「スバルR1」との17年の蜜月は、こんな形で終わりになったのです。
寂しいお別れでした。
私は修理できなくて車屋さんの片隅に置かれている「スバルR1」を見ていました。
「俺を見捨てるのか」
そう言っているのが聞こえたような気がしました。
父親によく似ていた加害者の男性は、事故の現場で別れたきり、一度も顔を見せませんでした。
私の父は90歳の生涯でしたが、89歳まで元気に車を運転していました。
高齢者の運転は危ないからと、私たちが免許証の書き換えを許さなかったので、父は車の運転が出来なくなりました。
それを境に、父は急激に元気を無くしました。
あのまま運転をしていたら、もしかしたら父はまだ生きていたかもしれない。
免許を取り上げたのは間違いだった。
父に申し訳ないことをした。
そんなふうに今も思うのです。
そのことが、加害者を許す気持ちにさせたのだと思います。
今でもときどき、街で「スバルR1」を見かけることがあります。
そのたびに私は、せつない気持ちがよみがえってくるのです。
コメント
今は何に乗ってらっしゃるんですか?
車は今度ドライブにお誘いしますよ(笑)